北本市史 資料編 現代
第5章 変貌する社会
第6節 都市化と鉄道・バス路線
北本では唯一の鉄道路線である国鉄(現JR)高崎線に北本宿駅が開業したのが昭和三年(一九二八である。同駅は、町制施行後の昭和三十六年、現在の北本駅と改称された。高崎線が電化されたのは昭和二十七年四月であったが、乗降客の増加のため、完全電車化が要望された(資料152)。その結果、三十一年十一月、大宮—高崎間全線の電車運転が実現された。(資料153)は、その際の試運転電車の時刻表である。
しかし、乗降客は年々増加を続け、混雜の度合もますます高まったため、上尾—熊谷間の沿線自治体で期成同盟会を結成し、京浜東北線の延長運転を関係当局に陳情する(資料154)が、これは実現には至っていない。
北本駅は沿線の多くの駅と同様に、改札口が東側であったので、西側の住民には不便であった。人口が増加し西側からの利用客も急増したため、駅の東西を結ぶこ線橋の建設が必要とされた。これは、昭和四十六年実現し(資料162)、のちの橋上駅の基礎となった。
北本を通るバス路線は、昭和二十年代は、大宮—熊谷間路線のみであったが、その後の人口増加のため、新路線が開通した。三十六年には北本駅と桶川駅を石戸経由で結ぶ路線、四十年には大宮駅—北本浅間神社、北本駅—行田車庫間(資料155・156)、更に四十五年には、北本駅と鴻巣駅を常光経由で結ぶ路線が新設された(資料159)。また、四十六年には、同年建設された住宅公団北本団地の交通の便を良くするため、北本駅間との路線が開通した。