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第3章 農業と川漁

第2節 水田と稲作

3 稲作の過程

(一)摘み田
田 の 草
摘み田では種籾が芽を出すと同時に雑草も芽を出すので、草も多く除草が大変だった。植え田だと苗代で苗を作る期間は、田うないなどをしているので草の出具合いも少ない。植え田になってからは田の草は二回程度で良かったが、摘み田のときは少なくとも三回は田の草を取り、家によっては四回したという。摘み田は三回草取りをしないと満足な収穫はなく、二回だと収量は半減したという人もあった。少々誇張した言い方だが、それほど雑草が多く出て、収穫量にも影響したということである。前述のように除草の手間は、摘み田から植え田への転換の一つの理由となっている。
摘み田の田の草取りは一番ゴ、二番ゴ、三番ゴ、あるいは北中丸などでは草取りをソウゴといい、一番ソウゴ、ニ番ソウゴ、三番ソウゴと呼んだ。三回で終る場合は、三回目をトメゴともいうが、四回行う家ではそれがトメゴとなる。稲には早稲・中稲・晩稲とあるが、一番ゴは六月初旬前後にし、その後七月上旬までに二番ゴを行い、三番ゴは八月の七夕・お盆前に済ませた。四回行う場合は、七月中に三番ゴまで終え、八月上旬にトメゴとなった。
一番ゴの時期には稲苗が二、三寸に伸びていて、この時には草を取りながらラチガキ(埒搔き)といって株の周りを手でよく搔き、さらに株の大きさを揃えていく。草がたくさん出ているので株の間をコスリマンガでこすったり、鎌で削り切るようなこともあったという。株を揃えることは、ネゾロエ(高尾、下石戸下)、ナエタテ(下石戸下)、モトゾロエ(北中丸)などといい、大きい株は苗を間引き、小さい株には大きい株の苗を移し植えて一株を四、五本あるいは五、六本の苗にしていく。また、サクに欠けている株があると大きい株の苗を集めて植えた。摘み田は蒔いた種籾が散りやすいのでネゾロエは必ず行われた。
二番ゴではやはり株の周りをよく搔きながら草を取り、取った草は田の土の中に突っこんでしまった。三番ゴはラチガキもしながらヒエも抜いていく。草取りはこのようにするが、二番ゴ・三番ゴの時期は暑く、菅笠、後には麦藁帽子を被って田の中に入り、はいつくばるようにして行うので肩も凝ったし、くたびれる仕事だった。

写真20 除草機

(把手を持ち、前後に動かしながら押す)

三番ゴまたは四番ゴまで済むと、あとは八月下旬から九月上旬にへエヌキ(ヒエ抜き)をした。ヒエは小さいうちはわかりにくいが、お盆すぎには稲とはっきり区別できるようになる。これは雑草のなかでも強い草で、繁殖力も旺盛。そのため株の中にヒエがあると稲より伸びるし、実を結んで田の中に落ちると絶やすのが大変だった。ヒエが生えているのを見つけるとすぐに抜き取ったし、必ず実を付ける前に抜いた。抜いたヒエは田から外に出してしまう。
かつては田の草取りはすべて手で行っていたが、昭和初めころには田打車とかカゴッパラなどと呼ばれる手押しの除草機も使われた。歯のある輪が付いて回転して土を搔きながら草をとる道具で、下石戸下の柳瀬健次さん(明治四十四年生)によれば、昭和二年ころに鴻巣や桶川の農機具屋から買って使ったという。手だけの除草より楽にできるが、これを使うには株がまっすぐに揃ってなければならない。その後は除草剤が開発・普及し、田の草の作業はほとんど必要なくなっている。

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