北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第5章 交通・交易

第7節 市

各種の市・縁日

写真5 ダルマ市のようす

(下石戸上 真福寺)

雛市は、北本市内では石戸宿で立ったが、北本市内の人たちが行くのは、鴻巣や桶川で立つ雛市であった。桑苗などを売っている苗木市は、鴻巣や桶川で春四月ごろの市日に立ち、そこに出かけていき苗木を購入した。
正月の三日は、真福寺の元三大師の縁口で、この日には達磨(だるま)市が立った。ここは石戸厄除大師といい、年回りの悪い人たちはお参りする。この日は、境内始め参詣道に露店が出るし、見世物小屋が立った。昭和五十九年の時には、境内の最も良い場所に達磨を売る店が並んでいた。鴻巣の赤物を売る店も出ている。それ以外の露店は、苗木を売る店、金魚を売る店、神棚を売る店などもあるが、数が多いのはタコヤキやヤキソバなど食物を売る店である。
真福寺境内では二月三日にも達磨市が立つ。このころになると、達磨市としては遅い方なので、達磨が安く買えるということもあり、人が集まり賑わうという。


写真6 町並のようす

(石戸宿)

縁日の大道芸として人気のあった一五代目松井源水は高尾の出身である。本名は新井金次郎で、天保十二年(一八四一)に生まれた。若いころは金次のコマ芸として近郷近在の神社などで興行して歩き、後に一五代目松井源水を襲名したといわれ、浅草の浅草寺に近い奥山を拠点に全国各地を回った。コマ芸で人を集め歯痛止めを売るのが商売であり、そのコマ芸は神業のようだったという。例えば、豆腐の上でコマを回したり、小さな台上で五個のコマを回して、それぞれのコマが別々の動きをするようにしたり、傘の柄に紐を結び、下からコマを登らせ、コマが柄に到達するや、傘をパッと開かせてみたりするなど、見事な芸を披露していた。明治末には引退して、以後歯科医を開業し、昭和四年に亡くなった。

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