北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第1節 古墳時代の成立と展開

なぜ各地に同じ形の古墳が見られるのか
前方後円墳は、遺体を納める内部主体のある後円部と葬祭のための儀礼の場であり、棺の通る通路としての機能を持つと推定される前方部からなる。そして、墳丘の表面には葺石(ふきいし)が敷き詰められ、円筒埴輪(えんとうはにわ)や壺形埴輪が立てられることが一般的である。棺は高野槙(こうやまき)などの大木を二つに割ってくり抜いた割竹形木棺(わりたけがたもっかん)をもちいて、初期のものは竪穴式の石室に納めるのが通例である。また、副葬品には銅鏡のほかに刀剣や銅鏃(どうぞく)などの武器、硬玉(こうぎょく)や碧玉(へきぎょく)で造られた玉類、それに石釧(いしくしろ)、鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)といった特殊なブレスレットが共通してみられる。このように、あらゆる面で定形化した墳墓が広い日本列島の各地に見られるのはなぜであろうか。
前方後円墳は、すでに古墳時代前期の段階で、南は宮崎県から、北は宮城県に及ぶ広がりが見られる。関東地方とその周辺では、山梨県銚子塚古墳(ちょうしづかこふん)、長野県森将軍塚古墳、神奈川県白山古墳(はくさんこふん)、東京都蓬莱山古墳(ほうらいさんこふん)、群馬県天神山古墳、福島県会津大塚山古墳などが三角縁神獣鏡を出土した前方後円墳として知られている。このことは古墳が一定の生活様式や習俗を前提とし、共通の祭式の上に成り立つイデオロギーの所産(しょさん)であることを示している。

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