実録まちづくりにかける集団

北本この人 >> 実録まちづくりにかける集団

第2編 「わぁ、つくしんぼみたい、わたしのおうち」
   あそびの学校が歩んだ十三年

二 北本市青少年育成市民会議からあそびの学校へ

黒潮からの挑戦
工藤の友人で、若松進一という男が、愛媛県松山市にいる。青少年育成市民会議を設立するとき、青少年事業についての講師として、北本市にきてもらった。
若松は、NHKテレビでも紹介されたが、青少年と一緒に丸木舟を作って、太古に九州から四国渡ってきた祖先と同じ方式で、豊後水道を渡ることを考え、それを実行した変わり者である。この人なら、青少年育成について大きなヒントがもらえるだろうということで、工藤が連れてきた。
若松は、講演の中でいろいろな活動について話をした後こう言った。
「私のところには、いろいろなところから話を聞きたいといってくる。だから出かけていって、自分たちの活動についての話をする。しかし、聞くだけ聞いて、驚き・あきれはするが、結局それでおしまい。」
「刺激を受けたおかげで、こんなことをやっているという報告は聞いたことがない。どうせ北本でもそうだろう。」
聞いた私には、少なからずカチンとくるものがあった。
「いまにみていろ、絶対にその鼻っ柱を折ってやる」とひそかに思った。
「あのときの若松さんの言葉がズシンと響いた。絶対に彼に負けない事業を展開したい。そして、聞いただけで終わっていないよ,と言ってやりたい。と、心底思った。」
そしてまた、若松の言葉が活動の支えにもなっていた。
「下手なことをやっていると若松さんに笑われる。絶対負けられない。」
黒潮の中での活動を展開した若松の挑戦は、うまく北本に花を咲かせた。
発足した北本市青少年育成市民会議は、平成三年夏、若松と共同で、松山市沖にある由利島を使った、無人島体験キャンプを実施し、大成功を収めた。
この事業は、四年続いた。その後は、この事業で実行委員をした峰尾信男が引き継ぎ、個人の事業として平成十四年まで続いている。

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